ちょっとマニアなブログ

ベース弾き、コンポーザー、ちょっとマニアな内容満載かもです

学歴社会の問題

日本だけでなく韓国や中国でもよりキツイ学歴社会になっているようだ。

アメリカでも学歴でエリートコースが約束されるようで、先日伊藤貫氏の動画でも聞いたが、この学歴社会が今政治をダメにしたとも言われている。

全ての学校のすべての学部がそうだとは思わないが、基本日本の大学も含め記憶力=頭が良いとされる部分が多くを占めている。知識の豊富さが実社会において頭が良いとはならないということである。

知識(情報)はあるに越したことはないが、判断や思考は情報だけでは成立しない。

コンピューターで言えば記憶装置の容量が高くても、CPU処理速度が遅ければだめである。AIもそうだが存在する情報を組み合わせて回答を出すことには優れているが、そこに無いものは処理できない。むしろ過去の成功体験でしか判断できないとも言える。

これは実社会の人間でも同じようなことではないかと思う。

学歴の高い人は当然ながらエリートとしての意識も高く、常に優等生の回答を出そうとする。その場合は過去の情報を取り出してそれを組み合わせて出す。勘違いしないでほいが、本当に頭脳明晰な人はここに含まれない。いわゆる強烈な受験勉強でエリートの座を勝ち取った人である。

アメリカでは民主党にはここでいうエリートが多い。エリートという意識が民主主義だジェンダーだというトレンドに過敏に反応することも一因だとう。この人たちはそんな自分が凄いでしょとか素敵でしょとかいう世界で生きている。

日々の労働に追われ毎日を一生懸命に余裕なく生きてる人にジェンダーとか言っても「それ美味しいの?」の世界であろう。

日本でもエリートと言われる層(特に官僚や二世政治家など)は、子供の頃から認められることに喜びを感じてきたと思える。そのため社会に出ても上のいうことを信じてそれことが正義だとすすめるのも当然だろう。承認要求も高いため、上に認められて出世しようと必死になる。

厚労省の職員がWHOを相手にして、ひれ伏すなんて当たり前のように思える。そんなことは長年続くとそれが当たり前になり、誰も疑問など持たない。

当然逆らう人など出てこない。嘘でも情報が全てなのだから自分の頭で疑問(物事を逆さに見ること)なんて生まれないんだろう。

学校制度と学歴社会を本来は見直す時代にきている気もする。今の学歴社会がみんなに平等であると言えない限り、必要なことじゃないかと感じている。